1月25日の朝4時前に亡くなった父の、お通夜、告別式が1月31日、2月1日で終わりました。家族葬とはいえ、親戚の人も数人くるので、兄共々やるべきことはやらなければ、という気持ちで臨んでおりました。
息子は30日の土曜日の晩に体調を崩し、日曜日のお通夜は大事を取ってパパと一緒にお留守番していてもらいました。お通夜のほうは、18時からだったので私と兄は17時くらいに斎場入りするために16時半ちょっと回った頃に家を出ました。
式場に設えてある祭壇は立派で、父の遺影もいい感じに収まっていました。来てくれた親族(ほとんどがだんだんいとこが多くなってきてます)と話をしたりしながら18時を待ち、みんなが揃ったところで始まりました。10人いるかいないかくらいの人数なのと、お通夜なので1時間ちょっとくらいで終わりました。菩提寺の和尚さんが読経してくださいました。
コロナ禍のため、通夜ぶるまいという会食が出来ず、お持ち帰りのお弁当をみんなに渡して持って帰ってもらいました。私達(留守番しているパパの分も)も持ち帰って家で夕飯にしました。それが冒頭の写真のものです。
明けて月曜日は息子も体調が復活し、告別式に参列出来ました。私と兄(お通夜の晩から泊まってました)が一緒に先行して斎場へ行き、後からパパと息子がやってきました。義父も来てくださり、息子のそばにいてくれました。
告別式、初七日法要、お別れ(お棺の中に入れてあげたいものを入れたり、みんなでお花を入れてあげたり)、出棺、荼毘に付す、骨上げ、解散、という流れでした。お別れから出棺の時に隣にいた兄が小さい声で「父さん、ありがとうな」と言っていました。私も「ありがとう」って言ったけれど、絞り出すような声になってしまいました。荼毘に付している間、本来なら待合室では飲み物の他にもお菓子とかもあるのだけど、コロナ禍に於いては飲み物のみ、ということになり、温かいお茶を飲みながらパパや義父と息子をはさみながら父のことを話しておりました。1時間くらいで終わり、お骨となってしまった父を見て「あんなに小さくなってしまった父だったけれど、意外に骨は大きいのもあったりして弱くはなかったんだなぁ」と思いました。
兄が挨拶をして、お通夜と同じく、会食が出来ないのでお持ち帰りのお弁当を会葬御礼の礼状と共に皆さんに渡して解散となりました。私は兄の車にお骨を抱えて帰り、お位牌と遺影は先行していったパパの車に(息子も一緒)乗せていきました。
家に着いて、すぐ着替えて30分もしないうちに葬儀屋さんが来て、四十九日(納骨)までお骨を置いておくので祭壇を設置していってくれました。母の時よりだいぶ立派な祭壇になっててびっくりしたけど。飾ってある果物などは折をみて食べてしまっていいです、と言われました。まぁねぇ、メロンまるごととかありましたからね。。。ダメになる前に食べたいわね。
葬儀屋さんが帰っていったあとに、兄とお弁当を遅いお昼のつもりで食べてましたが、しみじみと生きているからおなか空くんだな、と思いました。
お通夜の時のお弁当とは違って、これはお寿司があります。天ぷらもあって美味しかったです。親戚の人達も久しぶりに会ったから、ホントはおしゃべりしながら会食したいところでしたけどね。いつか、コロナの心配がなくなった頃にでもお線香あげに来てくれたらお茶でもしたいかな。だんだん親戚筋もおじさんおばさんが減っていき、顔合わせるのがいとこ達が多くなってきたな。こうやって代も変わっていくんだろうね。
そして、自分の残り人生があとどれくらい生きられるのかな、と考えさせられます。少なくとも折り返し地点はとっくに過ぎているので、シンプルに生きていけたらなと思うのです。今後はしばらく父の私物の片づけや、まだ残っている母のものなどの片づけなどをしながら、穏やかに息子の世話をしつつ、ごく普通に多くを望まず、パパと協力して生きていきたいと思います。
しばらくブログが止まっておりましたが、少しずつまた書いていけたらと思います。
↑よろしければワンクリックをお願いします(^^)